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京都大学の成り立ち

京都大学は、京都にある日本で2番目に設立された大学です。明治時代に帝国大学だった東京大学が京都帝国大学の設立された時に東京帝国大学名称を変更しました。京都大学は建学の精神が自由の学風となっており、京都大学内の西部講堂ではロックコンサートなどが開催される京都地区では文化の発信地としての役割を持っている大学です。京都大学の卒業生の中にはノーベル賞を受賞している卒業生や、その他の優秀なラスカー賞などの優秀な賞の受賞を受けている卒業生おり国内の大学では受賞者数が最多となっております。(2012年現在)

京都市内にある大学ですが、京都市内の繁華街からは離れているため昔ながらの京都の風情を残しております。京都大学の創立は1869年の理化学校を舎密局として大阪に開設することにより開校しました。その後京都大学は1872年に第4大学第一番中学に改組した後、翌年には第3大学第一番中学に改称し同じ年に開明学校改組しました。その後も大阪外国語学校(1874年4月) 、大阪英語学校(1874年12月) 、大阪専門学校(1879年) 、大阪中学校(1880年) 、大学分校(1885年) 、第3高等中学校(1886年) 、第3高等学校(1895年)にそれぞれ改組されて行き1897年に京都帝国大学となります。

京都帝国大学してスタートしてからは、分科大学として1897年に理工科大学、1899年には法科大学と医科大学、1906年に文科大学を設置しました。1909年11月に台湾総督府より台湾演習林を移管されたのをはじめ1912年には朝鮮総督府より朝鮮演習林を貸与され1915年には樺太庁より樺太演習林古丹岸森林を1916年には樺太庁より樺太演習林亞屯信義を移管されました。(演習林とは林学の研究や教育を行うために必要となる実験林や実習林と呼ばれているものです。)

京都帝国大学は1947年に現在の京都大学に名称を改称します。1951年には有名な京大天皇事件が発生しました。京大天皇事件とは1951年に時の天皇陛下の昭和天皇が京都大学に来学されることになります。この時に天皇陛下を1人の個人として迎えて会見を行いたい学生と、天皇陛下の警備をしていた警察との間で緊張が高まった事件です。結果的に逮捕者は1人も出なかったのですが、事件の後には時の文部大臣や保守派の国会議員から不敬(日本の場合には皇族の人たちに対し名誉や尊厳を害する行為)であると非難が続いてしまい当時の京大同学会が解散に追い込まれることになりました。

この京大同学会は、最近でも大きな社会問題になった天皇陛下に対して公開質問状を手渡す事を企画していました。しかしこの目論見は受け取りを拒否されて失敗に終わっています。この後も京都大学ではいろんな分野の実験や研究を行うための施設を設置しており、2010年4月にはiPS細胞の研究のための研究所の設置をしております。

京都大学の卒業生の中ではアナウンサーとして活躍している人が多く見えます。お笑い芸人では宇治原史規さんが有名です。その他には、DeNAの取締役会長である春田真氏や元外務大臣の前原誠司議員などが卒業生として名を連ねております。