昭和大学

昭和大学の建学の精神

昭和大学の前身、昭和医学専門学校が誕生したのは、1928年、上条秀介博士、また他の先覚同士が作り上げた学校です。
当時、彼ら創立に関わった人材の平均年齢は35歳という若さです。
大学ではなく専門学校を開学したという理由はどういう所にあるのかというと、医科大学は莫大な国費を投ずる、しかしその割に見識のみ高く、結局役に立たない医師が多い、古い伝統や先輩など、そういった体面にこだわるのではなく、本当に役に立つ医学を学ぶ場が、すでに必要な時代に来ていると考えたからです。

実施に役だたぬ、という当時の医療は外地を含む当時の日本医療の活動で、官立大学出身の医者の多くが、病気の見立てはできる、でも検査、治療となると全くできないという状態でした。
学問が出来て研究が出来ても、結局人の病気を直し、治療してあげる事の出来る医師が育たないことにはどうしようもない、という事から、帝国大学医学の教育とは一線を画した、国民が通える学校を作りたいと思ったのです。

見学の精神は、至誠一貫です。
創立者の本当に強い、曲らぬ思いが伝わってくる言葉です。

昭和大学の歩み

創立の地は旗の台です。
産婦人科教授の俳人、水原秋櫻子が当時の様子を詠んだように、一面の野を刈り施設が整備されていきました。
戦争中、戦後、非常に苦難な歴史の中、何とかその苦難を潜り抜け、薬学部、看護学校を設置、医療系の総合大学が創立されます。
創立は1928年です。

1965年以降、富士吉田キャンパスで、全寮制を実現しました。
他学部の学生と共同生活を送る中、交流し、医療人として豊かな感性と人間性を養う事の出来る環境が揃います。
歯学部の設置、さらに大学附属病院による高度医療、地域医療を充実させるなど、医療分野で先進的な役割を果たします。
このころ、海外にも活躍の場を広げ、医療系総合大学として発展します。

1990年以降は、時代のニーズを先取りする形で教育システム、スタッフともに充実させ、附属病院や教育機関、研究施設なども拡充しました。
これにより更なる人材が育成され、保健医療学部が設置されたこと言酔って、医学部、歯学部、薬学部、と保健医療学部という4つの学部が揃い、他の類を見ない私立医療系大学が誕生しました。
専門分野を進化させ、その連携をしっかりと図る構図がこの学部、施設の充実などを見てもよくわかります。
この構図については、世界各国から称賛され、この先医療系大学の見本となる学校と注目されています。

医療系でもこれほど施設が充実しているところは少ないといえるほど先進的です。
学び方においても、様々な方面からの学びが出来るのですから、医療系の就職先を希望されている学生にとって、非常に素晴らしい大学となるでしょう。