明治大学

明治大学は私立伝統校です

東京都千代田区にある私立大学、明治大学は、1920年、明治政府が作った明法寮という後の司法省学校が大きく関係しています。
当時、近代国家を樹立したいと考えていた政府は、近代法制度の確立が最重要課題となっていました。
明治政府は、欧米諸法の研究を行い、芯法典の編纂や近代法制度を理解、その運用ができる官僚という人材を確保しなければならないと、司法省に明法寮と呼ばれ、後の司法省法学校を設立しました。

1872年、7月には第一期生が20名入学、その後、裁判官や検察官として明治という時代の日本の司法を支える存在となっていったのです。
明治大学の創立者となっているのが、岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操、この方々も、最に明法寮に入学した20名のうちの3名で、その他、この一期生は多く活躍し、製法近代法を習得した第一世代は明治という時代、大いに役立つ人材となったのです。

明治大学の歴史

当時、青年法律家、明法寮の第一期生の20名のうちの3名だった、岸本、宮城、矢代という3名が明治法律学校という学校を1881年に創立しました。
設立に関して、鳥取藩主の池田氏、島原藩主の松平氏等、多くから支援を受け、千代田区有楽町の数寄屋橋内、旧松平忠和邸、三楽舎を校舎として開校しました。

司法省学校出身者、またフランスからの留学組などが参画したため、この学校は当時、最先端と呼ばれるフランスの法学を学ぶことができる学校として知名度が高くなりました。
1886年12月には、神田区駿河台南甲賀町の信仰者に移転したのですが、そこで法律学部、行政学部などの2学部を設置しました。

1903年には専門学校令によって旧制専門学校となり、明治法律学校から現在の明治大学という名称になったのです。
1920年には大学令により大学設置認可が下り、本科を大学令による大学に改組、専門科を学校令による専門部として改組しました。
明治大学の校歌が公示されたのもこの年で、また卒業生に明学士という称号を授与するようになったのも、大学令による大学設置認可が下ってからです。

1929年には専門部に女子部が設置され、1930年には明治大学小学学校が設置されています。
1934年に予科を現在の泉キャンパスに移転し、1949年、学制改革により新制大学となって、予科、専門部を統合しました。

その後、学部などを増やしつつ、現在の明治大学があるのですが、もともとは法律、国、政治などが非常に近い存在だったという事わかります。

象徴となっている旧記念館の正面接地のレリーフには、二人の天使が鐘を鳴らす像があります。
明示高校のエントランスなどにも設置されていますが、これは、校歌の一説にもうたわれ、明治大学の学生たちが時代の暁の金を鳴らす、社会を先導していくという意味が込められているといいます。